小柳 聡(こやなぎ さとし)
子育て世代、親世代への福祉を考える当事者として
生い立ち
- 1987年(S62)2月11日生まれ(37歳)
- 北区生まれ、北区育ち(旧豊栄市出身)
- 豊栄幼稚園卒園(現小鳥の森こども園)
- 葛塚小学校卒業
- 光晴中学校卒業
- 新発田高等学校普通科卒業(57期卒業)
- 立命館大学法学部政治行政専攻卒業
- 東京大学公共政策大学院修了
<卒業後>
- 大阪のコンサルティング会社に勤務
- 衆議院議員の国会事務所秘書として勤務
- 福島支援のNPO立ち上げの中心を担う
- 一般社団法人にいがた北青年会議所副理事長 理事(2015年〜現在)
- 豊栄商工会青年部部員
- 2015年4月12日の新潟市議会議員選挙(北区選挙区)にて6,072票をいただき、初当選(トップ当選)
- 2018年10月28日の新潟市長選挙にて90,902票をいただくも、次点
- 2019年4月7日の新潟市議会議員選挙(北区選挙区)にて9,909票をいただき、2期目の当選(トップ当選)
- 2023年4月9日の新潟市議会議員選挙(北区選挙区)にて8,106票をいただき、3期目の当選(トップ当選)
<議会活動>新潟市議会での発言
(2015年度、2016年度)
- 市民厚生常任委員会、人口減少対策特別委員会所属、新潟市議会主権者教育推進プロジェクトメンバー
(2017年度)
- 文教経済常任委員会(副委員長)、少子化対策特別委員会所属、新潟市議会主権者教育推進プロジェクトメンバー(サブリーダー)、広報委員会
(2018年度)
- 文教経済常任委員会、少子化対策特別委員会所属、新潟市議会主権者教育推進プロジェクトメンバー(サブリーダー)、広報委員会(副委員長)、議会運営委員会
(2019年度)
- 総務常任委員会、農業活性化調査特別委員会、広報委員会、新潟市都市計画審議会委員、新潟市議会主権者教育推進プロジェクトメンバー(サブリーダー)
(2020年度)
- 総務常任委員会(副委員長)、農業活性化調査特別委員会、広報委員会(副委員長)、新潟市都市計画審議会委員、新潟市議会主権者教育推進プロジェクトメンバー(サブリーダー)、タブレット端末導入検討作業部会メンバー
(2021年度)
- 文教経済常任委員会(委員長)、農業活性化調査特別委員会(副委員長)、広報委員会、新潟市都市計画審議会委員、タブレット端末導入検討作業部会メンバー、犯罪被害者等支援条例検討委員会メンバー
(2022年度)
- 文教経済常任委員会、農業活性化調査特別委員会(副委員長)、広報委員会委員長、新潟市都市計画審議会委員、タブレット端末導入検討作業部会メンバー、犯罪被害者等支援条例検討委員会メンバー
(2023年度)
- 新風にいがた(共同代表)、議会運営委員会(副委員長)、総務常任委員会、広報委員会、新潟市都市計画審議会委員
(2024年度)
- 新風にいがた(共同代表)、議会運営委員会(副委員長)、環境建設常任委員会、広報委員会、新潟市都市計画審議会委員
好きな食べ物: 塩むすび 味噌汁
特技:大食い
趣味:野球、サッカー観戦、大相撲観戦、スノーボード
家族:妻、娘(7歳)、息子(4歳)、柴犬のめい
私の目指す政治家 〜政治家を志した理由〜
政治家の仕事
テレビの前で文句ばかり言っていた自分に嫌気がさし、政治家の生の姿を見たくなったのが大学生。そこで見た彼らの姿は、私の政治家のイメージを大きく変えました。
決して偉ぶることなく、市民との対話を重ねる。そして問題のある制度を変えるために行政に働きかけ続ける。
「政治は結果責任」といわれますが、彼らは結果を出すべく、動き続けていました。
決して派手さはありませんでしたが、そこには政治家としての使命感のようなものを感じました。
「政治」は社会を変えるための手段の1つ。
皆さんが望んでいること、未来への思いを、皆さんからいただいた税金をもとに実現していくのが行政の仕事。そして、その税金の使い方のアイデアを出したり優先順位を決めるのが政治です。
省庁、県庁、市役所等の役所の人達だけでは、どういう使い方がベストか決めることは難しいです。
だから、皆さんの声を上手く活かし、役立たせる必要があります。
そうすれば、もっと多くの人が幸せになれるまちづくりにつながるはずです。
皆さんの話を聞かせて下さい
今までの政治家は自分が話すことに重きをおいていて、「発信」することに一生懸命でした。
それが、政治家と市民とのコミュニケーションを難しくし、「彼に話せば何とかしてくれる」という信頼関係を築くのを阻んでいました。
足を運び、話を聞く
私はみなさんのもとに直接足を運び、話を聞かせて頂こうと思っています。
つまり、「受信」することに重きをおきます。皆さんから伺った話をもとに、将来の新潟の子ども達が目を輝かせることができるよう、社会を少しでも変えていく。
それが若い僕が新潟のためにできることだと思っています。