国への帰属意識は低下しているのか 堀江さん流国家の意義から考える地方都市のあり方

集団的自衛権の行使について閣議決定がされ、各方面から批判する記事などがでています。内容は大きく分けて2つあるようです。

国家の根幹にかかわることを閣議決定で決めてしまっていいのかという手続き論が1つ目。もう一つは集団的自衛権の行使を認めることで平和憲法がなし崩し的な運用になってしまうのではないかという根本的な議論。この問題は国論が割れる重要な議論ですので、手続き的には閣議決定で決めていいものではなく、しっかり議論すべきです。

 

そんな中、新聞の記事(7月6日付の新潟日報の朝刊)で違った見方のものを発見しました。元ライブドア社長の堀江貴文さんの記事です。内容は、国境の壁はどんどん低くなっており、国家というバーチャルな共同体への帰属意識は低下しており、経済界としては「とばっちり」を受けたくないというもの。堀江さんの独特な表現ではありますが、おっしゃりたいことは理解できます。

もう一つ興味深かったのが、現代人はアイデンティティが多様になり、その面でも国境が関係ないということ。SNSでは国境はほとんど意味をなしません。国境を越えて、趣味という共通項でつながったりしている若者は増えています。堀江さんは最後に今後の国家への帰属意識は、「地元の甲子園のチームを応援するぐらい」の感覚になるのではとおっしゃっていました。

 

土地に縛られない人が増えている現状に対応できる環境が、今の地方都市にはあるでしょうか?私は今の閉鎖的な環境では対応できないと思います。地元で生まれた人も、そうでない人も入ってこられる場所が、これから先は求められてくると思います。