農業特区に新潟市が有力との報道 日本の文化としての農業の意味

政府が進め特区構想のうち、農業特区に新潟市が有力になったとの報道がありました。以前から新潟市はニューフードバレー構想を提案し、農業の六次産業化に積極的でした。行政府が農業を成長産業と考え、集中投資に舵をきろうとしている様子が伺えます。

司馬遼太郎氏の『街道をゆく 九』の中に、明治以前の農業の様子について、「農民の暮らしというのは、弥生式稲作が入って以来、商品経済とはあまりかかわりなくつづいてきて、現金いらずの自給自足のままでやっている」との記述があります。当時は、米が商品であるとの認識がなく、むしろ生活の一部として考えられていたことがわかります。

その後、明治になり、米で租税を納める方法から金銭での納税に変わったときの記述として「どうすれば自作農が金納しうるかということについて、政府にその思想も施策も指導能力もなにもなく、ただ明治六年七月に「地租改正条例」がいきなりといっていい印象で施行されただけ』とあります。

今回の一連の動きは、農産物を「商品」として、経済システムの中に組み込むことで農業を成長産業の柱にしようとする動きです。商品とする動きに異論はありません。農業が生業して存続していくためには、経済原理を導入することは、効果的だと思います。しかし、日本の農業が生活という側面が強かったことを考えると、その側面は無視することはできません。生活と経済を両立させる日本型の農業の形があっていいはずです。生活を「文化」として残していく方法を考えてみたいと思います。